被災地からの叫び!続報

宮城県多賀城市で被災されたお父様から息子(海外在住)への切実な叫び、
被災地からの叫び! - 魚屋日記)の続報です
宮城県多賀城市のご実家の現状メールです。


『みなさんへ


みなさんにこれをお伝えすることが、果たしていいことなのかご迷惑になるのか判断がつきません。
ただ、日々状況が好転するどころか悪化している毎日、
何か出来ることがあるなら、何かが生まれる可能性があるなら
やれることをやらなければならない、という思いからこのメールを送らせていただきます。
もし、今回の大震災について、報道しきれていない被災者の状況を知りたい、と思われる方は、
是非ご一読ください。



大震災が起きて一週間が経ちました。
自分を育ててくれた宮城と岩手。
そのたくさん町が壊れていくのを、ただシンガポールからテレビでみて、確認しています。

実家は仙台市の隣の多賀城市というところにあります。
海沿いの市ですが、実家は海から比較的遠いところにありましたので津波の直接被害はありませんでした。しかし最寄の国道45号線はめちゃくちゃな状態だそうです。

両親は、2人の祖母と、姉夫婦と1歳の息子と、義弟と、従兄弟と、両親が運営している団体の全盲のマッサージ師さんらとで避難生活を自宅にて続けています。

父からは被災した夜から、だいたい日に一度、メールが入ります。
その内容を紹介させてください。
ご批判も読んでいれば出てくると思います。私も肯定的に受け止めきれない内容があります。
それでも、ある被災者の生の声をこうして伝えることも、
父や家族だけでなく、同じ境遇にたたされている何十万人の人への支援になるかと思い、ここに転載します。


3月11日(金) 第1報
家族・親類8名、マッサージさん、私無事。みんなで多賀城の家にいます。強い余震が数分おきに起きています。とても怖いです。がんばります。

3月12日(土)
全員無事。家も無事。家具はかなりやられた。寒い。仙台港のコンビナート炎上中。黒煙が見える。余震極めて多し。電気、プロパン、水道、電話不通。メールが使えるので電話不要(※)。がんばるから。
※私が一日中電話をし続けてもつながらないことに対して。


3月13日(日)
ご心配かけています。いろいろありがとうございます。現在我が家には私、家族・親類8名、マッサージの子がいます。卓上コンロでご飯は炊けます。水は温泉水のストックがあり、いろいろ調達して当分あります。食料もまあまあります。トイレの水も節約してまあ大丈夫。困るのは、ガソリン、手に入りません。スタンドは底をつきました。コンビニも売るものは何もなくなりました。人命救助最優先で、我々まで救助の手は回りません。もうしばらくの我慢です。怪我もなく、病人もなく、元気で生きていることに感謝しなければなりません。がんばります。


3月14日(月)
ご心配かけています。四日目の朝を迎えました。天気晴れ、とても寒い。昨夜一晩ラジオを聞いていて思ったこと。どの県で何人亡くなったとか、どこどこで何人救助を待っているとか、避難所で30万人生活しているとか、そんなのばかり。実際には避難所より自宅の方がまだいいから、と自宅にいる人の方がはるかにおおい(※)。人命救助最優先はもちろん大事。しかしこのままでは二次災害になる。政府に頼らず民間でできることはあるはず。コンビニ、スーパーにはなにもない。ガソリンスタンドにはガソリンや灯油はない。薬もない。無料で配給しろとは言っていない。生活に必要なものを店舗にとどくようにしてほしい。訴えるしゅだんがないので、皆さんに頼みたい。近くのテレビ局、ラジオ、新聞、インターネット、NHKが一番いい。我々まで救助の手は回っていない。総理が直接ラジオで励ましてくれたら元気が出る、天皇なら最もいい。人命救助は最優先、不謹慎なことを言っていない。頼む。我が家変わりなし、みんなでがんばっています。乱暴な言葉でごめんなさい。

※長くなりますが補足します。
被災者で家が倒壊しなかった方々の多くは、自分の家にいます。避難所の体育館などは寒くて暖を取れないからです。そして多賀城市仙台に限らず、そうしている人の数は膨大です。
現時点での話しになりますが、現在給水や食糧支援が入っていると報道されているのは、家屋をなくした人々が非難している避難所です。従って、当然ですが、避難民の少ない避難所にはそういった援助が入っていません。もし入っても1日にパン一つとコップに水1杯。つまり、避難所ではなく自宅待機で救助を待っている多くの人々に救援物資が届いておらず、届くという希望が持てずにいるようなのです。
移動手段となる車さえあれば、どこかで支援物資を受け取ることができるのでしょうが、ガソリンがないため、また余震も続いているため動けずにいます。東北の3月はまだまだ寒いです。


この時点で一度、知り合いや親戚にメールを転送したところ、ブログで紹介され、それがまた別のブログで紹介されたり、新聞社や県知事や自衛隊員に訴えてくれる方がでてきたり、終いには知り合いだという民主党衆議院議員を通して内閣府まで声が届いた、との信じられない反響がありました。



3月15日(火)
ご心配かけています。先ほど四日ぶりに電気が通りました。とてもとても嬉しいです。水はまだですがテレビが見れます。調理ができます。私のメールで、みなさんがそれぞれに早速動いてくださったこと、感謝です。ありがとうございます。。みんな元気です。よしき(※一歳の甥)が一番がんばっています。


3月16日(水)
T君良かった(※私の大学の先輩で父の元部下の無事が6日目にして確認された)。私も学校や市民センター(※父が去年まで勤めていた市民センターは海辺の集落にあるため、完全に津波にやられた)にいたら、こんなにのんびりしてはいられないよ。スーパーやコンビニに物はごく少量だがはいるようになったよ。でも店外販売のみ。並んだ人のみの限定販売。私はペットボトルのお茶四本と缶ビール二本買えたよ。うれしかったなあ。みんな元気だから安心してね。それから今日、天皇陛下のおことばがありました。とても感動しました。少しは俺も関係者かな。


3月17日(木) ※この日、共に避難生活を続けるマッサージ師さんの両親の遺体が確認される


今雪が降っています。気温零度、寒いです。どの家もひっそりしています。家の中でじっとしているのでしょう。我が家の食料の残は、米10キロ、カップ麺10個程、ペットボトルのお茶これも10本程度、野菜ジュースは買い置きがあったので30本位。レトルトのカレー5食、インスタント味噌汁20回分、缶詰め10ヶ、みかん10ヶ、その他一度溶けてまた固まった冷凍庫の冷凍食品、まあざっとそんなところです。よその家もまあ似たり寄ったりでしょう。どんなにもっても、あと一週間というところでしょう。近くには500メートル圏内にセブンイレブンとローソン、1キロ圏内にファミリーマート、2キロ圏内に生協とヨークベニマル、スーパーヤマザワがありますが、いずこも閉店。品物が入ったときだけ店の外で販売するけど、その時、店の外で並んでいた人にだけの限定販売。この寒空、いつ何がどの程度入るか分からない品物を求めて何時間も並ぶ元気はもうありません。それでも若者は自転車や徒歩で食べ物を求めて街をさまよっています。
避難所(※救援物資の入っている避難所という意味)になっている小学校、中学校、公民館まで行けば救援物資にあやかれるのかもしれませんが、これも遠い。
老人、子供、赤子にはとても無理。給水車のお知らせはたまに来ますが、いつどこに行けば食料にありつけるとかの広報車は全く動いていません。
多賀城ジャスコや山田電気で暴徒が入り、商品の略奪があったと聞きます。放置された車からガソリンを抜き取ることも現に起きています。
まだ今は冷静だけど、いつまで我慢できるか心配です。

私たちよりももっともっと劣悪な環境でがんばっている人がたくさんいることは承知の上で、テレビやラジオでは全く報じられていない数十万人の声を代弁するつもりで書きました。

テレビで電力不足でいつ停電するかもしれないと報じていました。そこで提案です。
ラジオは別として全国一斉にテレビ放送を一時間おきにする。一時間流したら一時間休むというのはどうでしょう。
同じようなニュースの繰り返しを止めて、一時間おきに内容の濃い報道をするというものです。
かなりの節電になるのではないでしょうか。外は雪、ものすごく寒いです。なんらかの方法で世論に訴えたいと思います。



ここまでが7日間分の父からのメールです。
17日のメールにいたっては、我が父親ながら冷静な判断とは言い難い内容だと感じています。被災していない人たちはずっとテレビをみているわけではないから、常に情報を流し続ける必要があるのに。
ただ、父は2年前まで小学校の校長を勤めていました。
どちらかといえば、本音を押さえ、周囲の人とのバランスを取り、大勢をまとめる力があります。
その父の今の心の状態がいかに追い詰められているかが、メールの節々から伝わってきて悲しいです。


この日、普段は気丈な母からも悲痛なメールが届きました。親類のようにつきあってきた方の両親の死、未だ行方が分からない叔母や友人、同僚。そんな状況が一日過ぎ、また一日が過ぎて行く中で、我々には想像もつかない痛みを増幅させているだと推測されます。


今回みなさんに父のメールを紹介させていただいたのは、
父、というよりも多くの多くの被災者の声として聞いていただけたら、と思ったからです。
最初にも言いましたが、それが被災していない我々からできる支援の一つになると私は思っています。


これまで私が関わった国際協力の中で、現場の声を知り、それを伝えることが、支援のまず第一歩だと感じているからです。
そしてそれが時間をかけ、大きな力になることも経験してきているからです。


読んでくださってありがとうございました。 』
〜以上〜